「わたしは生きていける」から始まる戦争映画の世界

戦争と言う物は私たちにとって過去の出来事ではありません。今も確かにそれは世界中に存在していて、また日本でも引き起こる確率のある普遍的な脅威となっていると私は思います。本作品「わたしは生きていける」は戦争というモチーフの中で生きていく子ども達に主眼が当てられた、戦争映画というなんかよりも青春映画に近い物になってはおりますが、それでもやはり考えさせられてしまいます。このサイトではそんな「わたしは生きていける」という映画についてと、その他オススメの戦争がテーマとなっている映画について紹介していきたいと思います。

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戦場のピアニスト


 この『戦場のピアニスト』という映画は、第二次世界大戦中のワルシャワを舞台にして制作したフランスとドイツ、そしてポーランド、イギリス合作作品で、ユダヤ系ポーランド人であるピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を脚色して映像化しているという物です。

 カンヌ映画祭では最高賞であるパルムドールを受賞しました。アメリカのアカデミー賞では7部門にノミネートされ、うち監督賞、脚色賞、主演男優賞の3部門で受賞しました。  主演のエイドリアン・ブロディはこの作品でアカデミー主演男優賞を受賞しました。

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あらすじ

 1930年代後半、ポーランドのワルシャワで、ユダヤ人、ウワディスワフ・シュピルマンはピアニストとして活躍していました。しかし1939年9月、その生活が一変します。第二次世界大戦が勃発し、ナチスドイツはポーランド侵攻を開始、シュピルマンが公開録音をしていたラジオ局はドイツ空軍による突然の爆撃を受け倒壊します。その後、なんとか脱出することが出来、シュピルマンは混乱の中で友人ユーレクの妹ドロタと出会い、僅かばかりの友好関係を築くことになります。帰宅した彼は、イギリスとフランスがドイツに対して宣戦布告をしたことを海外のラジオ放送で知り、戦争は早期に終結すると信じて家族と共に喜びます。

 しかし、状況は好転する事がありませんでした。ワルシャワはドイツ軍に占領され、親衛隊と秩序警察による過激な弾圧によって、ユダヤ人の生活は悪化してゆくことになります。ダビデの星が印刷された腕章をつけることが義務付けられ、少しでも目立った行動をとるユダヤ人はナチス親衛隊の暴力にさらされるのでした。1940年後半には、ユダヤ人たちはワルシャワ・ゲットーに押し込められ、飢餓、迫害、そして死の恐怖に脅かされました。そんなある時、シュピルマンとその家族はその他殆どのユダヤ人と共に親衛隊の命令で戸外に集められ、財産を取り上げられます。ほどなく彼らは絶滅収容所行きの家畜用列車に乗せられるが、シュピルマンだけは知り合いのユダヤ人ゲットー警察署長ヘラーの機転で救われ、その場を逃れます。

 ひとり残されたシュピルマンは、ゲットー内で強制労働を課せられます。ここでシュピルマンは、ドイツがユダヤ人抹殺を計画しているらしいこと、そして生き残ったユダヤ人たちが蜂起の準備をしていることを知る。シュピルマンは慣れない肉体労働に耐え切れずに倒れてしまうが、仲間の配慮で倉庫番や食料調達の仕事に回されます。シュピルマンは蜂起への協力を志願し、食料調達の立場を利用してゲットーへの武器の持ち込みを手伝う。そんなある時、食料調達のため街(ゲットー外)に出かけたシュピルマンは市場で知人女の人ヤニナを見かけ、彼女を頼ってゲットーの外に脱出することを決意します。

 ゲットーを脱出したシュピルマンは、ヤニナとその夫アンジェイが加わる反ナチス地下活躍組織に匿われて、ゲットーのすぐそばの建物の一室に隠れ住む。ほどなくユダヤ人たちのワルシャワ・ゲットー蜂起が起こり、シュピルマンは部屋の窓からドイツ軍との激しい交戦を目の当たりにしますが、蜂起は鎮圧され、ゲットー内の大半の人が殺される結果に終わります。

 その後の1年で、ワルシャワの状況は一層悪化します。シュピルマンは隣人に存在を気付かれ、隠れ家から逃避しなければならなくなった。アンジェイに手渡されていたメモに書かれていた住所の家を訪ねると、姿を現したのはドロタでした。シュピルマンはドロタの夫ミルカに匿われ、ドイツ軍の病院の向かいにある隠れ家を提供されます。しかし支援者からの食料差し入れが滞り、内臓疾患で死にかけたこともありました。1944年8月、ポーランド人の抵抗勢力はワルシャワ蜂起を起こしました。しかし、この蜂起もその甲斐無く、ナチスドイツに鎮圧されることになり、ワルシャワは報復として完膚なきまでの破壊を受けることになってしまいます。そして、シュピルマンは、廃墟の中で完全に孤立無援となってしまいました。

 ある時、廃墟の中で食べ物をあさっていたシュピルマンは、OGÓRKIの缶詰を発見します。何とか開けようと悪戦苦闘していたところ、連絡拠点設営の下見に来ていたドイツ軍将校ヴィルム・ホーゼンフェルトに物音で見つかってしまう。シュピルマンを見つけたホーゼンフェルトは尋問し、ピアニストであることを知るや、演奏するように命じことになりました。その見事なピアノの腕前と、ドイツの敗退を予想するホーゼンフェルトは、密かにシュピルマンに食料を差し入れます。包みの中にはライ麦パンと共に、缶切りが添えられていたのであった。

原作となる小説は?

 ちなみにこの映画には原作があります。それは戦争直後のポーランドで書かれたノンフィクション小説『ある都市の死』で、冷戦下のポーランドでは、主人公シュピルマンを救ったのが旧敵国のドイツ人では好ましくないこともあってか、やむなくオーストラリア人になっていました。しかし、これは後々ポーランド共産主義政権の手によってすぐさま絶版処分となってしまいます。さらに、1960年代におけるポーランド国内での復刊の試みがあったものの、再びポーランド政府による妨害にあい、ポーランド国内外で再版される事はなかった物なのです。その後、シュピルマンの息子であるアンジェイ・シュピルマンが復刊に挑み、ドイツで独訳版として1998年に出版しました。イギリスで英語版が出たのもそれから一年後の1999年になってからの事になっています。

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